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僕が毎日30分間涙しながら見ているドラマ「ラブレター」。
耳のまったく聞こえない少女と勉強は出来ないが純朴な少年の恋愛物語。
子どもの頃の約束、「俺がお前の耳になってやる」。
小豆島が舞台だった。
今は、高校生になった2人が東京と島との遠距離恋愛。
毎回、いろいろな出来事がある。
その都度、涙、涙、涙。
テーマソングが流れてくると、もう涙。
年のせいか、とにかく泣いてしまう自分がしょうがなく恥ずかしい。
僕にも、知的障害の子どもがいる。
お産の時に産声を上げなかった。
お尻をたたき、どうにか小さい声で泣いた。
2600グラム弱の未熟児。
難産で取り上げるときに吸引したため、頭は内出血で2倍ほど腫れ上がっていたので布袋様のようだった。
退院後、一ヶ月もしないうちに40度を超える高熱が数日続いた。
小児科の先生から紹介状を頂き日赤へ、そして即入院。
原因は扁桃腺の熱だった。
成長も遅く、歩き始めてもいつもふらつく、か弱い子どもだった。
保育所に入って友達の輪に入ることが出来ず、いつも1人砂場で遊んでいたことを園長先生が卒園式の時に話してくれた。
体が小さかったので、少しでも大きくしようと食事には気を遣った。
(これが結果的にその後に影響する)
小学時代はまったく気づかなかったのだが、会話がうまくできない。
少し勉強が出来ないのかな?
程度で、担当の教師からは発達障害などの指摘は無かった。
結構いじめにあっていたようだが、それも口にはしなかった。
中学に入るといじめもかなりひどくなっていたようだが、登校拒否や引きこもりにもならなかった。
部活の剣道がとても好きで、朝練にも積極的に参加していた。
この頃も学校側からは特殊学級への進言なども無かったので、いつかはやる気で頑張ればそんなに問題になるようなことはないとあまり気にしてはいなかった。
自営業と言うこともあり、子育てはすべて妻に任せきり。
小学校中学校とまったく構っていなかった。
正直、出来ない息子を突き放していた。
父親失格なのだ。
今思えば・・・
小学校の行事に参加した時、僕の顔を見ればすかさず寄ってきた。
いつもいじめに遭っていたらしい。
でもそれをうまく説明できず、誰にも相談できずじっと我慢。
そんな訳で、僕の姿が見えれば安心して近づいてきてなかなか離れようとはしない。
でも、周囲の手前もあり、早くみんなの中に戻るように叱り付けたこともあった。
田舎なので中学校は1つ。
町内から生徒が集まってくる。
小さくて肥満、そして勉強にもついていけないい気弱な少年は格好のいじめの対象。
教科書は捨てられ上履きは隠されたりと、更にひどいいじめに遭っていたのだが、そのことをうまく説明できず、教科書は忘れたことにし裸足で過ごしていた。
我が子には何の進展もなく、時だけは過ぎた。
3年生も中盤、ボチボチ進路を考えることになる。
ある時具合が悪くなり保健室で休むことになった。
その時、保健の先生に親にも話すことの無かったこれまでの体験をうまくは表現できなかったが、長い時間をかけて泣きながら話したそうだ。
翌日、担任の先生に呼び出され保健の先生と3人で我が子のこれまでの体験、そして気持ちを聞かされ、胸が張り裂けそうだった。
残念ながら、高校は失敗。
一浪の後、3年の担任だった先生の御尽力により養護学校へ進学することが出来た。
ここで3年間を過ごし無事卒業することができた。
就職も障害者への理解がある企業に受け入れていただいた。
が、景気は悪くなり会社は別の資本に代わって再出発。
新たな担当者は障害者雇用がよく分からず、我が子は退職へと追いやられた。
この不況下我が子の就職はまったく見通しが立たず、自宅待機。
・・・。
話は迷走してしまった。
美波と海司には絶対に幸せになってもらいたい!
来週もまた涙が待っている。
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